藤建設株式会社
サハリン情報

当社は隣国ロシア・サハリン州における天然ガス開発プロジェクト「サハリンII」に日ロ合弁会社ワッコルを通じて参画しています。

ここでは、当社はもとより稚内でのサハリンとの交流について、皆様にお伝えしていきます。

今、サハリンが面白い

藤建設株式会社 代表取締役社長 藤田幸洋

稚内港で修理中のリグ船
稚内港で修理中のリグ船

はじめに

出番を待つガントリークレーン
出番を待つガントリークレーン

かつて、近くて遠い国であったロシアが、本当に近くて近い国になった。そして現在、ロシア連邦サハリン州において大規模なエネルギー開発が進められている。

今、大規模プロジェクトに沸くサハリンが断然面白い。私の目(技術屋)から見たサハリンを皆さんにお知らせしたくてペンを取りました。

サハリンプロジェクト

洋上に設置されたモリクパック
洋上に設置されたモリクパック

サハリンプロジェクトは計画されているものも併せて9つの計画があります。その中で今、大きく動き出しているのはサハリン1(以下、S1)と2(以下、S2)である。簡単にS1とS2の開発プロジェクトについての経緯を説明します。

今マスコミで盛んに掲載されているサハリンプロジェクト(以下、SP)は、最近始まった資源開発だとお思いでしょうが、実際には1919年に調査が開始され、戦前には既に年間55万トンもの原油を生産していた。

現在のS1と言われているプロジェクトは、72年の日ソ経済合同委員会で提案され、日本側がエネルギー供給の多角化政策の一環として取り組んだ。77年オドプト鉱床の産油に成功したが、その後の東西冷戦の影響と原油価格の低迷により約15年間の停滞期間を経た。

93年開発計画にエクソン社が参画し、現在のS1がスタートを切ったわけである。96年ロシア政府がS1対し、生産物分与(以下、PS)法を発効、北サハリン東海上にある3鉱床の探鉱開発ライセンスを取得した。しかし、一番有力であった鉱床の探鉱結果が思わしくなく、停滞期間があったが、01年チャイヴォ鉱床の探鉱に成功し、産油の準備に取りかかっている。

一方、S2のプロジェクトは86年頃、三井物産と米国マクダモット社がPS方式での開発をソ連政府に提案をし、交渉を始めた。89年ロシア政府が実施した2鉱床の企業化調査の国際入札に参加し落札。92年英国RDシェル、三菱商事が計画に参加をした。その後いくつかの変遷を経て現在の体制が整った。

S2は既に99年7月から原油の生産を開始しており、01年度は100万トン以上の原油を韓国方面に輸出している。

2つのプロジェクトの可採埋蔵量は推定ではあるが、原油4億トン、天然ガス8,500億立方メートルとされている。

S1とS2のプロジェクトの大きな違いは、天然ガスの出荷方法である。S1はパイプラインを使った輸送方法。S2は液化天然ガス(以下、LNG)方式を採用している。

プロジェクトが大きく動き出したきっかけは、S1は01年チャイヴォ鉱床の探鉱に成功したことであると思われる。同年10月に商業化宣言がなされ、05年原油生産開始を目指した作業が本格化されている。しかし天然ガスに関しては未だ不透明な部分が多いと聞いている。

S2は早くからプリゴロドノエ地区に液化工場と出荷基地建設を計画していたが、LNGの販売先が決まらず計画そのものが遅れていた。きっかけとなったのは、03年5月に東京電力、東京ガス等とのLNG購入契約の基本合意であると考えている。また、本年8月、中川経済産業大臣が開発地域を訪問されたニュースが発表されたが、この事も今後のプロジェクトの進展に大きなインパクトを与える事になると考える。

サハリン開発の今後の動向

建設が進むプリゴロドノエ地区
建設が進むプリゴロドノエ地区

パイプライン敷設状況
パイプライン敷設状況

SPについては計画中を含めてサハリン9まであるが、ここではS2を主体とした動向を述べてみたい。

S2は、原油及びLNGの出荷のため、プリゴロドノエ地区に大型施設を建造中である。現在は、LNG生産施設工事で作業が輻輳しており大変な状況である。昨年の8月頃までただの原野だったことを考えると進捗状況はものすごいものである。当初、工事開始は02年からと聞いていたが、様々な要因から遅れてきているが、予定通り07年にはLNGを出荷すると聞いている。しかし残工事量やサハリンの冬期間の気象状況を考えると、相当の突貫工事となる予感がある。

また、サハリン北東部からプリゴロドノエ地区までのパイプライン(原油・ガスの2系統)約750kmの敷設は5つの工区に分割され施工されているが、未だホンの1部しか完成しておらず、今後の進展に大きな関心を持つと同時に、今後大量のパイプ輸送・敷設業務が発生すると予測している。

サハリンの港

ホルムスク港
ホルムスク港

コルサコフ港
コルサコフ港

サハリン州でプロジェクトに対応できる港は、ホルムスク港とコルサコフ港の2港だけである。ホルムスク港は、昨年漁港区の浚渫し、ヤードの新設を行ったが、まだまだ十分な広さを確保したとは言い切れない。両港とも小規模な改修工事は行っているが、基本的には日本時代に建造したままの状態である。今後発生するだろう大量の資機材の受け入れ、備蓄はヤードの狭隘から、相当な困難が発生するだろうと思われる。

また、将来新たな港湾の開発や大規模改修が行われると思うが、プロジェクトの関連では、港に関して仮設関連は別にして、余り大きな投資をする事は無いと聞いている。

この事からも、北海道内の港は開発地域との位置関係に関しても大きな利点があり、その利点を生かしサハリンの港を補完する基地機能を持つことは、プロジェクトの円滑な進展を考えると非常に重要だと考える。

しかし、もし直ぐに港湾の大規模改修等を行わなければいけないとしても、ロシア側の技術力では困難が予想され、日本企業が工事に参画できる可能性は高まると考える。 S1、S2だけで結果を出そうとしても無理がある。プロジェクトは9まである。将来に備えたインフラ整備を進めていかなければ、沢山のビジネスチャンスを逃してしまうような感じがする。

稚内港を拠点としたサハリンとの交流

フェリーに積み込まれるのを待つ建設機械
フェリーに積み込まれるのを待つ建設機械

ここで少し私が住んでいる稚内のことをお話ししたい。稚内とサハリンは歴史的にも関係が深く、戦前には連絡船も就航していた。また、94年から開始された商工会議所による研修生の受け入れ事業等、経済交流を前提とした動きも活発化してきた。

99年から日本船としての定期航路が再開されている。5年目を迎えた03年は59便を運行し、乗客4,800人、貨物輸送4,581トンの実績を達成した。貨物の大半は建設機械であり、サハリンでの建設機械の需要は大きい事が解る。今後SPの事業量が増すことを考えると、今後の需要は増大の一歩をたどると考える。

リグ船の入港も大きな話題だと思う。稚内港に過去3回リグ船が入港し、機械等の修理を行っている。最初は00年2月にサハリンスカヤ号、オハ号の2隻が入港した。オハ号は03年1月と11月にも入港し、整備を行っている。

また、合弁企業『ワッコル』の設立も特筆だと思う。01年稚内建設協会が主体となり、サハリンでは初めての建設に関する合弁企業を設立した。現在は、コルサコフ市をはじめ官民の工事を受注している。SP関係では、04年からプリゴロドノエ地区のプラント基礎工事に下請であるが参加している。この工事に関して、稚内側からアドバイザーとして3名の技術者を派遣しており、大きな成果を上げている。

今後の『ワッコル』の推移に大きな期待を寄せている。

結び

今、都市と地域にあらゆる面に大きな温度差がある。地方も単なる地域エゴでなく、日本という国に何が貢献できるかを考える必要がある。北海道の北の果て稚内が北海道、日本国に対し何が貢献できるのか。我々が今何をしなければならないのかを考えた時、世界的プロジェクトでもあるサハリン大陸棚開発を進行させているサハリン州の情報を稚内から発信することが重要だと思う。





稚内港とサハリン

藤田社長が日本港湾振興団体連合会第48回通常総会にて講演しました原稿を掲載します。(2014年10月9日)





 初めてサハリンに行ったのは1989年。初めての海外?祖父が稚泊航路の船長をやっていたので、祖父の着いていた港(コルサコフ港)が見たいとの思い。
 当時のコルサコフは軍港であり外国人の立ち入りが制限されており、勿論写真撮影はNO!それでも写真は撮った?
 以来、多い時は年6回(合弁企業を作ろうとしていた時)(当社で一つの重要基地としている礼文島にはあまり行かずに、当時の町長に礼文島はサハリンよりも遠いとよく嫌みを言われた)少なくても年1回以上は行っている。
 1991年には道の調査団の1員としてハバロフスク、ウラジオ、サハリンを訪問。帰国後革命が起きたことを知りびっくり。
 シベリア鉄道の素晴らしさに大いに感激をしました。寝台列車。落下防止のベルトが付いていない。付けても誰かが持って行ってしまうから!
 アムール川に架かる鉄橋(日本の大正年間に造った。確か大正14年)水深12mの所に橋脚を立てる。河床から12mの深さ。今なら色々な工法があるが当時は?(川を掘る?)
 会議所の諮問委員会の委員長としてサハリン島北部の都市オハを訪問。12月のオハは寒かった!-30度。ロシア人がなぜウオッカを飲むのか理解。
 2011年11月外務省の外郭団体、日本センターからの依頼で建設業に関する講演を行ってきた。日本の寒地における土木技術に大きな関心を持っているようであった。



ロシア極東は広い。以前の政府系ミッションでアムール州における農業協力が締結されたと聞いている。5万haの土地に蕎麦を植えるとのこと。
 ヤクーツク、マガダン州の地下資源開発、マガダンでは金、ヤクーツクではダイヤも存在していると聞いている。









樺太との海上交通
明治38年(1905年)小樽・大泊間の航路許可を得た日本郵便が田子の浦丸(746t)を就航させた。これが樺太定期航路の始まり。
大正13年10月には北日本汽船が樺太西海岸の本斗と稚内を結ぶ稚斗航路を開設した。
稚泊航路は大正11年11月の宗谷本線が開通した前後に機運が高まり、鉄道省が開設を認めた。
大正12年5月1日に関釜航路に就航していた壱岐丸が大泊港を出発した。これが記念すべき稚泊航路の第1便である。
当初砕氷能力のある対馬丸を建造・就航予定であったが、建造が遅れ第1便を壱岐丸に譲った。(大正14年12月に野寒布沖で座礁)
当時夏期間(4月から11月)は毎日運行、冬期間(12月)は隔日運行、1月から3月は月12便。(2船体制)
亜庭丸の就航
昭和2年11月に竣工し、同年12月から稚泊航路に就航した。
宗谷丸の就航
昭和7年12月に竣工し、同月22日から航路に就航した。
昭和20年8月22日宗谷丸が大泊港を出港し、稚内港に向かったのが稚泊航路最後の航海であった。
17年から18年にかけて祖父が宗谷丸の船長をしていた。
1999年日本船による稚内・コルサコフ間の航路が54年ぶりに復活した。












                                        現在のコルサコフ港



稚内市はサハリン3都市と友好都市を締結している。一昨年ネベリスクと40周年式典を開催した。
 2008年から友好都市経済交流促進会議を開催している。稚内で開催する会議の議長は日ロ経済交流協会の会長がするとのことで今年は私が議長役を務めた。
 また12年初めて北海道フェアーをサハリンで開催。スイカ、メロンが現地で3倍以上するものが大好評であった。(今までは関税等の問題で販売ができなかった)サハリンで販売されている果物の多くは中国産!
昨年は道北6都市の物産展、今年は9都市の物産展を開催、報道によると大変好評であったと聞いている。





研修生事業が人脈形成に貢献している。ロシアとのビジネスは信頼できる人材を見つけることができれば70%成功すると言われている。
 稚内商工会議所内にサハリンの地下資源開発が進むと稚内にどのようなメリット・デメリットが発生するかを調査検討する特別委員会を設立した。(調査費0円)私が委員長であったが、委員の中で1番の年下の私がなぜ?お酒が強かった!
 1999年サハリン航路が日本船で再開された。状況は後ほど説明。
 日露合弁企業の件についても別に説明。
 04年から06年の3年間トレードインサハリンを会議所、日露協会の協賛で開催。持ち込んだものは全て持ち帰る!(税金の関係で販売できない)それでもそれぞれ3日間の開催であったが、2,000人以上の人が来場した。
人気の商品はキャンプ道具、ウォシュレット、窓用サッシ、建築外壁材etc
 06年はロシア人を稚内に招聘して稚内においてビジネスマチィング事業。
ストーブ、建築資材、車いす、血圧計等医療機器等の問い合わせがあった。



 開始当初は日本人の利用が多かったがLNG工場建設が開始された03年からはロシア人の利用も多くなってきた。06年がピークで6680人の利用があった。
 その年にはその他外国人が約700人利用しており、稚内空港を利用して成田or関空等経由で本国に帰省していた。また専用船での入国も多くあった。
 08年にはLNG工場が稼働し、初期投資が完了すると乗客数が落ち込んでいる。(特に日本人)



 貨物量の推移も03年から08年が量的にも大きな数値を示している。07年〜08年に輸入量が増加しているのは大量に持ち込んだ建設機械を関税の関係から日本に再輸入したものと推測される。(プロジェクト関連の建設機械は0関税。工事完成後は国外に持ち出すとの条件で)
 ピークは05年で7,020トンを記録している。





 当初資本金200,000R=900,000円 当時の有限責任会社法、外資が10万Rを超えるとモスクワで登記、未満だとサハリンで登記(1980年代の法律)
当時の10万R=20億円、稚内汽船組合合弁ワッカナイに2億円出資現在の価格で40,000円?
 現在は1,700,000R



 順調に業績を伸ばして邦貨10億円以上の工事を行ってきたが一昨年度は約5億円にとどまった。
 いじめ=北方4島へ仕事に!稚内側がNO!州、地方自治体、石油関連企業から仕事はずし。
 困ったものだ!
 昨年は約14億円の受注を確保!一応一安心!でも油断はできない。











 個人的には最高の友達になれる。しかし団体となると?机をたたく?絶対にせつを曲げない。自分が困っているときも友達が困っていると援助する。
 団体交渉になると強く出る。
 ロシア人は日本人が好き?(漢字が好き!)アメリカのなんでも契約は嫌い。中国のうるさいのも嫌い。性善説と性悪説の中間!
 体制の批判はする。しかし、どこかであきらめる?民間から規制とか法律とかを変えていく熱意が感じられない。仕方がないとか言っても無駄さとかの言葉が出る。















 サハリンプロジェクトの開発は既に終わったと思っている人も多い。しかし初期投資が終わっただけである。
 今サハリン3が動き始めた。プーチンは1,2の生産物分与契約が嫌い。
サハリン3の契約がどのような契約なのか把握はしていないが計画は8まである。契約の中身によっては進展のスピードが速まる。


 日本人はロシア側に物を売りたい。ロシア側も日本に物を売りたい。お互いに利益を考えるのは結構なことと思う。しかし、それだけでは単にビジネスライクのみになってしまうのではないだろうか。
 国境という目には見えないものを超えた仲間意識、友情、信頼がなければただの薄っぺらい経済交流しかできないと考える。
 お互いを理解し合い、お互いに利潤を供給し合いながら、経済協力を進めることが、なおいっそう厚みを増した協力関係を進め新たな展開を生み出すと考えます。

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